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広島高等裁判所 昭和45年(う)200号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする

理由

本件控訴の趣意は、弁護人新井章、同鷲野忠雄、同原田香留夫、同椢原隆一、同外山佳昌、同阿左美信義、同豊田秀男連名の控訴趣意書(以下単に新井弁護人ほか六名連名の控訴趣意書と略称する)、並びに控訴趣意書訂正補充申立書、同外山佳昌提出、並びに同原田香留夫、同阿左美信義連名の各控訴趣意書、同阿左美信義、同相良勝美連名の弁論要旨、同新井章、同鷲野忠雄、同原田香留夫、同阿左美信義、同高村是懿、同渡辺良夫、同四位直毅連名の最高裁判所第一小法廷提出書の答弁書(以下単に新井弁護人ほか六名連名の答弁書と略称する)、同恵木尚、同山田慶昭、同外山佳昌提出の各控訴趣意補充書、同服部融憲提出の弁論要旨、同原田香留夫提出の本件弾圧の本質と題する書面記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は、検察官築信夫作成の最高裁判所第一小法廷提出の弁論要旨、同斉藤正雄作成の答弁補充書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一昭和三六年広島県条例第一三号集団示威運動、集団行進及び集会に関する条例(以下単に本条例と略称する)が憲法一四条、二一条、三一条にそれぞれ違反して無効である旨の主張(新井弁護人ほか六名連名の控訴趣意書論旨第一点、同控訴趣意書訂正補充申立書、弁護人原田香留夫、同阿左美信義連名の控訴趣意書論旨第二点、弁護人阿左美信義、同相良勝美連名の弁論要旨論旨第三点、弁護人恵木尚提出の控訴趣意補充書記載の論旨、弁護人原田香留夫提出の本件弾圧の本質と題する書面記載の論旨第一点)について

(一)  憲法一四条違反の主張

原判決が、本条例は憲法一四条に違反する旨の原審弁護人の主張に対する判断として説示するところはすべてこれを正当なものとして肯認することができる。すなわち、原判決も指摘する集団示威運動、集団行進又は集会(以下単に集団行動と略称する)のもついわば潜在的な危険性にかんがみると、法と秩序を維持するための必要最小限度の措置として、本条例の定める許可制を適用することは、やむを得ないところといわなければならない。してみれば、本条例四条が公共の安全と秩序を維持する上に直接危険を及ぼさないことの明らかな冠婚葬祭、学生、生徒の遠足などのような集団行動を許可制の適用対象から除外したことは、きわめて当然のことであり、合理的な根拠にもとずくものであるから、本条例がかかる対象の差に従つて異なる取扱いをしていることをもつて憲法一四条の保障する平等の原則に反するものということはできない。したがつて、本条例が憲法一四条に違反するものとは認められない。

(二)  憲法二一条違反の主張

(1)  なるほど、本条例は、集団行動の主催者について、いずれも公安委員会に対し、事前に許可申請を経由すべきことを要求しているけれども(四条)、さきにも述べたように、そもそも集団行動のもついわば潜在的な危険性にかんがみ法と秩序を維持するための必要最小限度の措置を講ずることは憲法上是認されるのであつて、その措置が果たして必要かつ最小限度のものであるか否かを判断するにあたつては、昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決(最高裁判所刑事判例集一四巻九号一、二四三頁)が判示するように、単にこの種の条例の定める「集団行動に関して要求される条件が『許可』を得ること、または『届出』をすることのいずれであるかというような概念乃至用語のみによつて判断すべきではな」く、「要は、それによつて表現の自由が不当に制限されることにならなければ差支えない」のである、そこで、いまこれを本条例についてみると、公安委員会は集団行動の実施が「公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかであると認められる場合」のほかはこれを許可しなければならないと定めて(六条一項)許可を義務ずけており、不許可の要件を厳格に制限しているのであつて、このように本条例の運用が厳正になされることを期待しうる途が示されているかぎり、たとえその規定の文面の上では許可制を採用しているにしても、実質においては、届出制とさして異なるところがないものとして、違憲の条例であるとの結論を回避しうるものというべきである。

所論は、この点について、かかる許可制は実質的な意味においても、届出制と同一視することはできないとして、るるその理由を主張する。しかしながら、本条例が許可または不許可の処分に関し、「公共の安全と秩序に対して、直接危険を及ぼすことが明らかな場合」に該当する事情が存するか否かの認定を公安委員会の裁量に委ねた点は、それが諸般の情況を具体的に検討、考量して判断すべき性質の事項であることからみて当然のことであり、また前記のような許可制のもつ実質的な意義にかんがみると、かかる許可制のもとにおいては、集団行動を当初から一般的禁止のもとにおいているということができないものであることは、さきに本条例と殆んど同じ内容の規定をもつ東京都公安条例についてした前記最高裁判所大法廷判決の示すところである。さらにまた、本件条例が集団行動を法的に規制する必要があるとする以上、集団行動が行なわれうるような場所を、本条例四条のようにある程度包括的にかかげることはやむを得ないところであり、これをもつて許可制の対象となる場所が特定されていないとはいえないし、また、本条例が適用の対象とする集団行動は、その六条により「公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかなもの」として特定されていると解すべきであつて、所論のように本条例が許可制を適用する場所、対象について、明確な基準の枠ずけがなされていないということはできない。また、本条例五条一項は、集団行動の主催者に対し、四八時間前の許可申請義務を課しているが、警備当局が集団行動に備えるべく、警備態勢を整えるために必要とする準備の時間などを考慮にいれると、本条例所定の右時間的制約は必ずしも不合理なものということはできないし、またこれによつてある程度表現の自由が制限されることは、公共の福祉の見地から、けだしやむを得ないものとしてこれを受忍すべき義務があるものと解すべきものであるそれゆえ、所論指摘の各事由は、いずれも本条例が定める許可制が届出制と実質的に異らないものであることを否定すべき事由とは認めがたい。

また、単に許可申請を経由しないで集団行動を行なつた主催者らに対しても、一年以下の懲役または五万円以下の刑が定められていることが、これまた本条例の定める許可制が実質的には届出制と異ならないことを妨げる事由とならないことは、後記憲法三一条適合の有無の判断の項において説明するとおりである。

(2)  なるほど、本条例が公安委員会に委ねた不許可処分の裁量権は、前記大法廷判決も指摘するように「その運用の如何によつて、憲法二一条の保障する表現の自由を侵す危険を絶対に包蔵しないとはいえない」ものであり、したがつて、「条例の運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧を口実にして平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきものである」としても、濫用のおそれがあるからといつて、本条例を違憲とすることは失当であること、および、本来「純粋な意味における表現といえる出版等については、事前規制である検閲が憲法二一条二項によつて禁止されているにもかかわらず、集団行動による表現の自由に関するかぎり、いわゆる公安条例をもつて地方的情況その他諸設の事情を十分考慮にいれ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることが、やむを得ない措置として許され、憲法の右条項に違反するものでない」ことも、前記大法廷判決の示すところである。そして、当裁判所もこれと判断を異にすべき事由は見出しがたい。それゆえ、本条例の定める許可制が憲法二一条各項に違反するものとは認められない。

(三)  憲法三一条違反の主張

本条例の定める許可制が実質的に届出制と異なるところがないという趣旨は、もとより集団行動について純粋に届出だけを要求し、集団行動を一般的に禁止し、もしくはこれに条件を付与して禁止を解除することになじまないいわゆる純粋な届出制をとつているという趣旨でないことは、いうをまたないところである。すなわち、集団行動について、事前に許可の申請義務を課することが合憲として承認され、さらに、もし集団行動の実施が「公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかであると認められる場合」にはこれを不許可とすることが、公共の安寧を保持するための必要最小限の規制措置として合憲とされる以上、本条例一四条が予定する処罰の対象者は、単に事前に許可申請があれば、当然許可されたであろうと認められる集団行動を許可申請を経由しないで実施した主催者、もしくはかかる集団行動を指導し、煽動した者ばかりではなく、事前に許可申請がなされても、当然不許可とされたであろうと認められる集団行動に関するもの、さらには、不許可とされたにもかかわらず、これを無視してあえて実施した集団行動に関するものなど様々の場合のあることが考えられるわけである。そして、かかる類型の差によつて、違法性の程度は必ずしも一様ではないのであるから、量刑の面において緩厳の節度を誤ることのないよう具体的妥当性を図りうる裁量範囲が存在する以上、本条例一四条が許可申請を経由しない集団行動の主催者に対し、規定上一律に一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処すべき旨を定めているからといつて、これが一概に不合理に重い刑罰であるということはできない。また本条例四条所定の「公共の場所」という観念は、後記第四に判示するような明確な意義と内容を有するものと解されるから、これが所論のいうように明確性を欠き無限定的に解釈される虞のある概念であるということもできない。それゆえ、本条例四条、一四条の規定が憲法三一条に違反するものとは認められない。

結局、本条例が違憲である旨の主張を排斥した原判決の判断はすべて正当であつて、論旨はいずれも理由がない。

第二原判決が、本件について、本条例を適用したのは、憲法二一条、本条例二条一項の解釈適用を誤つた違法がある旨の主張(新井弁護人ほか六名連名の控訴趣意書論旨第二点の一、同控訴趣意書訂正補充申立書、同答弁書論旨第五点の(一)、(二)弁護人恵木尚作成の控訴趣意補充書記載の論旨)について

そもそも本条例が集団行動について、事前に許可申請を経由すべきことを定めたのは、前記最高裁判所大法廷判決がとくに強調するように、「集団行動は、本来平穏に、秩序を重んじてなされるべき純粋なる表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包している」場合もないとはいえないところから、すべて集団行動については事前にその場所、方法などを明らかにして「許可申請」を経由させ、不慮の事態に備え適切な措置を講じうるようにし、もつて万一にも「表現の自由を口実にして集団行動により平和と秩序を破壊する」など公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかに認められる場合には、これを不許可とし、その他のものについても、必要な条件を付する機会を公安委員会に与える必要があるという考慮によるものと解される。したがつて、集団行動について、事前に許可申請を経由せしめることは、本条例が必要最小限度の措置として憲法上許容されるべき集団行動を規制するための必要不可欠の制度であるといわなければならない。それゆえ、許可申請を経由しなかつた集団行動について、主催者、指導者、煽動者を処罰する理由は、果たしてその集団行動が、公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぶすことが明らかであるか否かを公安委員会が事前に検討する機会を奪い、あえてこの許可申請を経由することなく、集団行動を行なつた点に求められなければならないし、またそれ以外に存するものでもない。すなわち、許可申請を経由しない集団行動を処罰するにあたつては、果たしてそれが事前に許可申請を経由したとすれば、公共の安全と秩序に対し、直接危険を及ぼすことが明らかな場合に該らないとして当然許可されていた筈の集団行動であるか、あるいは、たとえ事前に許可申請を経由しても、不許可にされた筈の集団行動であるかという点を区別する理由はないものというべきである。してみれば、たとえ本件集団行動が所論のように公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかな場合に該らず、かつそれが交通秩序をなんら妨害するものではなかつたとしても、かかる事情は、事前の許可申請義務を課することが、本条例の目的を達成するための必要最小限度を超えるものとすべき事由とは認められない。また、本条例五条一項が、集団行動の主催者に対し、四八時間前の許可申請義務を課していること、あるいは、本条例一四条が、その四条の規定に違反する無許可集団行進の主催者に対して、「一年以下の懲役又は五万円以下の罰金」という重い刑罰を科しているという所論指摘の事情は、事前の許可申請義務を課すべき対象範囲を限定的に解釈する事由とはならない。また、後記第三に判示したようにたとえ本件集団行進が団体行動権の行使に該ると認めうる余地があるとしても、原判決挙示の証拠によつて認められる本件集団行進を開始するに至つた経過に徴すると、右団体交渉を有利にするための集団行進を、いち早く無許可で開始しなければならないほどの緊急やむを得ない必要があつたものとは認められない。

以上説明するごとく、本件について事前の許可申請義務を課することが、本条例の目的を達成するために必要な最小限度を超えるものとは認められないから、本件について本条例を適用した原判決には憲法二一条、本条例二条一項に違反する虞はなく、所論のような違法は存しない。論旨は理由がない。

第三原判決が本件集団行進は団体行動権の行使に該らないとして本条例を適用した原判決には憲法二八条ならび労働組合法一条乃至三条、本条例二条二項の解釈適用を誤つた違法がある旨の主張(新井弁護人ほか六名連名の控訴趣意書論旨第二点の三、同控訴趣意書訂正補充申立書、同答弁書論旨第五点の(一)、弁護人原田香留夫、同阿左美信義連名の控訴趣意書論旨第四点、同外山佳昌作成の控訴趣意書並びに控訴趣意補充書、同山田慶昭作成の控訴趣意補充書記載の各論旨)について

原判決は、全日本自由労働組合(以下単に全日自労と略称する)の組合員が特定の事業主体と継続的な雇傭関係に立つものではなく、更に事業主体たる地方公共団体には、賃金や就労日数等の決定権限がないものであるから、事業主体によつて労働条件の維持、改善を図る余地がないので、失業対策事業に従事する労務者(以下単に失対就労者と略称する)の団体である全日自労をもつて労働組合法上の組合であるとすることはできない旨を判示した。なるほど、失業対策事業を行なう事業主体と、これに就労する失対労務者との雇傭関係は、公共職業安定所の紹介により、毎日一定数の者が、当日一日かぎりの契約をもつて雇い入れられるものであるけれども、原判決も判示するように多数の失対就労者が半ば恒常的に同一の事業主体の行なう失業対策事業に就労しているという実情に徴すると、その実質においては、当該失業対策事業が継続するかぎり、その事業主体との間に使用者対被使用者として対向関係が継続するものと解すべきである。またなるほど、失業対策事業は、緊急失業対策法の規定によつて労働大臣が樹立する計画にもとずいて実施されるものであり、またその賃金や就労日数など主要な労働条件に関する事項も、労働大臣の定めるところによらなければならないなど、一般の労使関係とは異なる面が多々あるため、失業対策事業については、事業主体に処分権限のない事項、労使関係に直接関係のない事項など団体交渉の対象とはなり得ない事項が少なくない。しかしながら、緊急失業対策法上、事業主体が独自の措置によつて労働条件の維持、改善を図りうる事項が皆無であるとは解されず、事柄の如何によつては、事業主体が独自の措置によつて労働条件の維持、改善を図りうる余地があり、したがつて、団体交渉の対象となりうるものと解するのが相当である。

してみれば、失業対策事業に雇い入れられた者は、一般職の国家公務員又は地方公務員である者を除き、労働組合法三条にいう労働者であつて、同法の適用を受けるべきものといわなければならない。したがつて、これらの労働者の組織する団体は、労働組合法二条の要件を充たすかぎり、同法にいわゆる労働組合であるというべきである。そして証人中西五洲の原審公判廷における供述、並びに原審において取調のなされた「規約規定規則集」によれば、全日自労は、組合員である労働者が主体となつて、自主的に労働条件の維持、改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織された団体であることが認められるから、全日自労は労働組合法上の組合であるといわなければならない。それゆえ、全日自労に属する失対労務者も、他の一般労働者と同様、団結権はもとより、団体交渉その他の団体行動をする権利を有するものと解すべきである。

そこで、原判示の対県交渉が、果たして団体交渉の対象となりうる事項について行なわれたものであるか否かの点について検討するに、証人鈴岡教宏ならびに被告人の原審公判廷における各供述、差戻前の控訴審において取調のなされた広島県知事作成の広島弁護士会長宛回答書、一九六一年夏季斗争方針、全日自労広島県支部情報によれば、全日自労広島県支部が昭和三六年六月二〇月頃、事業主体である広島県当局に対し、(1)県は市町村自治体の失対事業の運営に干渉するな、既得権を尊重せよ、(2)二六六円賃金引上げ、最低生活を保障する全国一率最低賃金制の実施、(3)生活保護費基準を二倍に引上げよ、(4)適格基準を撤廃せよ、県適格審査会を廃止せよ、(5)二五日就労実施、県営枠を拡大せよ、(6)官公労並みの夏季手当の支給、(7)失業保険の待期々間を撤廃し、未適用地域の廃止、(8)労災休業補償費を一〇割支給せよ、(9)技能者賃金を単独県費で支給せよ、(10)市町村の日雇共済組合に一人あたり月二〇円の補助金を県費から支給せよという一〇項目の要求をかかげて、これについて団体交渉の申入れをなし、以来原判示の同年七月二〇日に至るまで右要求項目について数回にわたる団体交渉が重ねられたが、その団体交渉がゆきずまつたため、これを打開し、交渉を有利に展開するために、同日、本件県庁前広場において原判示集団行進が行なわれるに至つたものであることが認められる。しかし、右各要求項目のうち、(1)、(3)については労使関係に直接関係のない事項であり、その他の事項も労使関係に関連はあるにしても、その大部分は事業主体である広島県当局に処分権限はなく、したがつて、団体交渉の対象となり得ない事項である。それゆえ、これらの事項について、全日自労は広島県当局に対し、団体交渉権を有しないものといわなければならない。しかしながら、前掲広島県知事作成の広島弁護士会長宛回答書によれば、広島県当局は全日自労に対し、右(a)の要求事項に関し、「広島県独自の措置として、昭和三六年一月一日から、見舞金規程を改訂し、支給額を増加したが、さらに検討を加える」旨を回答したことが認められるから、これらの要求事項のうち、その一部については、広島県当局が独自の措置によつて処分しうる余地が全くなかつたということはできない。したがつて、この点に関するかぎり、本件集団行進が団体行動権の行使に該ると認めうる余地があるというべきである。しかし、たとえ、それが団体行動権の行使に該ると認めうるにしても、それだからといつて、それは絶対無制限に許されるものではなく、一定の制約を受け、公共の安全と秩序を害することが許されないことはいうまでもない。それゆえ、団体交渉のゆきずまりを打開し、交渉を有利に展開する目的をもつて集団行進を行なう場合であつても、無許可の集団行動が許容されるいわれはなく、当然本条例による規制を受けるものといわなければならない。所論は、この点について、労働組合の団体行動権の行使として行なわれた集団行動に対して、本条例を適用すべきものでないことは、その二条二項の法文上明らかであるという。なるほど、同条項はこの条例による権限を行使するにあたつては、集団行動が公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことなく行なわれるようにするため必要最小限度においてのみ行使すべきであり、「いやしくも、権限を逸脱して個人の基本的人権若しくは団体の正当な活動を制限し、又は団体の正当な活動に介入するようなことがあつてはならない」と規定しているけれども、その趣旨とするところを許可権の行使についていうならば、本条例がすべての集団行動の主催者に対し、事前に許可申請義務を課するのは、集団行動が公共の安全と秩序に対して差し迫つた危険を及ぼすことが明らかな場合に該るか否かの判別をすることのみを目的とするものであつて、この目的以外に許可権を濫用して個人の基本的人権、もしくは勤労者の団結権や団体行動権の行使など団体の正当な活動を制限したり、またはこれに介入することがあつてはならない旨を定めたものと解されるのであり、原判決が「憲法の保障する勤労者の団結権、団体行動権に対しては、本件条例の適用はないと解するのが相当」である旨判示したのも措辞意を尽さないが畢竟右の趣旨を指すものと解される。したがつて、たとえ所論のように原判示集団行進が団体行動権の行使に該るとしても、これに事前の許可申請義務を課することは、なんら本条例二条二項に違反するものではなく、また憲法二八条に反するものでもない。それゆえ、原判示の無許可集団行進は、この点において既に正当性の範囲を逸脱したもので、正当な団体交渉権の行使であるということはできない。

してみれば、全日自労をもつて労働組合法上の組合であるとすることはできない旨を判示した原判決には、事実を誤認し、また労働組合法ならびに緊急失業対策法の解釈適用を誤つた違法があるといわなければならないが、原判示集団行進が正当な団体行動権の行使として違法性を阻却する旨の原審弁護人の主張を排斥した原判決の判断は、結論において正当であつて、右の誤りはいまだ判決に影響を及ぼすことが明らかでないものというべきである。それゆえ、被告人の本件行為について本条例を適用した原判決は正当であつて、憲法二八条、労働組合法一条二項、本条例二条二二項の解釈適用を誤つた違法はなく、論旨は理由がない。

第四原判示広島県庁正面玄関前構内(以下単に本件県庁前広場と略称する)が本条例四条にいわゆる「屋外の公共の場所に該るとした原判決には事実を誤認し、本条例の解釈適用を誤つた違法がある旨の主張(新井弁護人ほか六名連名の控訴趣意書論旨第二点の二、同控訴趣意書訂正補充申立書、弁護人原田香留夫、同阿左美信義連名の控訴趣意書論旨第三点、同阿左美信義、同相良勝美連名の弁論要旨第一、二点、新井弁護人ほか六名連名の答弁書記載の論旨)について

所論は、本条例四条にいう「屋外の公共の場所」とは、「不特定多数の人の自由な通行ないし使用が保障されている場所」と解すべきであると主張する。しかしながら、本件上級審である最高裁判所が、本件県庁前広場は本条例四条にいわゆる「屋外の公共の場所」に該らないという理由で原判決を破棄して被告人に無罪を言い渡した原控訴審判決について、右判決は本条例の解釈適用を誤つた違法があるか、または、法律判断の前提をなす事実の認定について審理不尽の違法があるとしてこれを破棄しており、差戻を受けた当裁判所としては、上級審である最高裁判所の右判断に拘束され、これと異なつた解釈をとり得ないことは裁判所法四条の明示するところである。したがつて、事実の認定については、新たな証拠を追加して破棄差戻前に認定した事実と同一の事実を認定することは、もとより拘束力に反するものではないけれども、こと法令の解釈適用に関する判断については、上級審の示した判断と異なる解釈をすることは許されないものである。そして、本件上級審たる最高裁判所の右判決は、本条例四条にいう「屋外の公共の場所」とは「そこにおいて集団示威運動等が行なわれると、公共の安全と秩序に対し危険が及ぶおそれのあるような、道路、公園、広場にも比すべき場所、すなわち、現実に一般に開放され、不特定多数の人が自由に出入し、利用できる場所を指すものと解すべきであつて、」たとえ、「その場所が官公庁の公用の場所であつて、一般公衆の使用に供することを、本来の、もしくは直接の目的として設けられた公共用の場所ではなくても、公用に供すると同時に、現実に不特定多数の人の自由な出入を許し、一般公衆の利用するにまかせているという状況が存在するかぎりは、その場所における集団示威運動等は、公共の安全と秩序に対し、危険を及ぼすおそれがあるから、これを取り締まる必要があり、したがつて、このような場所は、前記条例四条にいう『公共の場所』にあたるものと解すべきである。」旨を判示しているから、これと解釈を異にする所論は採用することができない。

そこで、本件県庁前広場が果たして右最高裁判決の示した「屋外の公共の場所」の観念に該るか否かの点について検討するに、原審において取調のなされた司法警察員作成の実況見分調書、原裁判所の検証調書、原審第四回公判調書中の証人藤田悟の供述部分、同第五、第六回公判調書中の証人沖野哲雄の各供述部分によれば、原判決が、県庁前広場の形態および利用状況について判示しているところはすべて正当なものとしてこれを肯認することができる。そして、さらに右の各証拠を総合すると、次の事実が認められる。すなわち

(一)  広島県庁構内の形態について、

広島県庁は、広島市基町一番地(現在同町一〇番五二号)に所在する東西の長さ二〇〇メートル、南北の長さ二〇〇メートルの正方形の敷地内の中央部に位置し、中庭を挾んで北側に本館、南側に南館が東西に長くコの字型に建てられていて、右各建物の各西端を接続する玄関ホールがあり、同ホールの西側前面に同県庁の玄関が設置されている。右敷地内には、同県庁の建物を中心としてその北西側には広島県議会議事堂、東北側に自治会館、同県庁南館の南側に広島公共職業安定所、その東側に広島県税事務所の建物がある。右敷地の周囲のうち、その西側部分は、高さ0.5メートル、幅3.8メートルの石垣で囲んだフラワーベッドの上に高さ約1.1メートルの灌木を植えこみ、その他の部分には高さ約0.45メートルの土台を繞らし、該土台上には灌木を植えて生垣とされ、右敷地(以下単に県庁構内と略称する)とその周囲外側の道路部分とは明確に区画されていること、同敷地西側の鯉城通りの道路に面して中央に幅28.85メートルの出入口があり、高さ約1.4メートルの門柱が建てられこれに「広島県庁」と表示した標識が施され、その他にも、東・西・南・北にそれぞれ出入口が設けられている。

(二)  本件県庁前広場の形態とその利用状況

本件県庁前広場は、同県庁正面玄関前から、その西方に位置する前記西側出入口に至るまでの間、東西85.42メートル、前記広島県議会議事堂から右敷地の南西隅に造られた芝生地帯に至るまでの南北約五七メートルの長方形をなす範囲内であつて、その略中央部に東西64.1メートル、南北14.7メートルの芝生の植込みが設けられて、その周囲の部分はアスフアルト舗装をされて通路を形成し(そのうち、北側の通路のみは歩車道の区別が設けられている)、右芝生の植込みの南側通路(幅員10.4メートル)のさらに南側には東西50.6メートル、南北数メートルの植込みが設けられて、その南側部分は駐車場とされている。本件県庁前広場は、単に前記西側出入口に通じているばかりでなく、前記広島県議会議事堂に沿う通路を経て北側出入口に、南側の芝生地帯の間を彎曲して縫う通路を経て鯉城通りに面する西南角の出入口に、右芝生地帯と前記広島県公共職業安定所の間に設けられた通路を経て南側出入口に、さらに前記同県庁南館と前記広島県税事務所との間に設けられた通路を経て東側出入口にそれぞれ通じている。これら同県庁構内の各出入口には門扉はもとより、守衛所のように一般人の出入を規制しうる設備は全く存在せず、また同県庁の守衛も、とくにこれらの各出入口に配置されるということはなく、単に同県庁正面玄関内に設けられた守衛室内に常駐している守衛が一時間毎に同県庁の庁舎内と構内を巡回する制度がとられていたにすぎない。それにその巡回の目的も火災と盗難の発生を警戒することが主たる任務とされていて、本件県庁前広場の管理事務を掌る同県庁総務課も、日常同県庁構内を通行する者の監視、通り抜けなどのため出入する者の規制は全くしないことを建前とし、守衛に対し、同県庁構内に出入する一般公衆の出入を禁止、制限する措置を講ずるよう指示したことはなかつた。そのため、昼夜を間わず現実に県庁および周辺の官公庁に用事のない者も、通り抜けなどのため、本件県庁前広場に自由に出入し、タクシーなども、同所内を自由に通り抜けしていた。また前記駐車場も、とくに混雑しているとき、守衛がそこに駐車している同県庁に用事のないバスに対して退去を求めたことがあつたほかは、同県庁への用事の有無を間わず、一般の車両の自由な利用に委ねているのが実情であつた。

以上の事実が認められる。右認定に反する原審第一〇回公判調書中の証人伊藤満の供述部分は前掲証拠と対比して措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

前記認定事実に徴すれば、本件県庁前広場には、門扉または守衛所のように一般人の出入を規制しうる設備はなにひとつ存在せず、同県庁当局も、一般人の出入を規制する措置を全く執らなかつたため同県庁をはじめ前記諸官公庁に用事のある者であると否とを問わず、昼夜の別なく自由に本件県庁前広場に出入しうる状態であり、また現に出入していたことが明らかである。してみれば、本件県庁前広場は同県庁など諸官公庁の公用の場所であつて、一般公衆の使用に供することを本来のもしくは直接の目的として設けられた公共用の場所ではないにしても、公用に供すると同時に、現実に不特定多数の人の自由な出入を許し、一般公衆の利用にまかされていたものといわなければならない。したがつて、同所は本条例四条にいう「屋外の公共の場所」にあたるものと解すべきものである。それゆえ、この点に関する原判決の判断は正当であつて、論旨は理由がない。

第五被告人の本件行為は可罰的違法性を欠く旨の原審弁護人の主張を排斥した原判決の判断は、法令の解釈適用を誤つた違法がある旨の主張(新井弁護人ほか六名連名の控訴趣意書・論旨第二点の一、(二)、同控訴趣意訂正補充申立書、同答弁書論旨第五点の(三)、弁護人服部融憲提出の弁論要旨記載の論旨)について

そもそも本条例四条によつて、事前に許可申請を経由しない集団行動を主催する行為が処罰の対象とされる理由は、前記第二に判示したように、果たしてその集団行動が公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかであるか否かを公安委員会が事前に検討する機会を奪い、あえてこの許可申請を経由することなく、集団行動を行なつた点に求められるべきものであるから、たとえ無許可のまま行なわれた集団行動が現実に公共の安全と秩序に対してなんらの影響を与えなかつたとしても、それが本条例四条の定める違法類型に該当するものであることは明らかである。ただ、この場合本条例四条違反の行為は、その実質において、許可申請を経由しなかつたという形式犯に殆んど接近するものとしてその違法性の量の評価において妥当な限度にとどめなければならないだけのことである。

したがつて、所論指摘の事情は、本件行為の可罰的違法性を否定すべき事由とは認め難く、これと同一の趣旨を判示して、被告人の原判示所為が可罰的違法性を欠く旨の原審弁護人の主張を排斥した原判決は正当であつて、所論のような法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

第六原判決には不法に公訴を受理した違法がある旨の主張(弁護人原田香留夫提出の本件弾圧の本質と題する書面記載の論旨)について

所論は、結局検察官が本件について公訴を提起した処分に対し、起訴、不起訴の裁量の当否を批判するに過ぎないものであつて、かかる裁量の当否は公訴提起の効力とは無関係な別個の問題である。したがつて、たとえ所論のように検察官が不起訴処分に付することを相当とする案件についてした公訴提起であつたとしても、それが手続規定に従つて適式になされているかぎり、起訴は有効であつて、かかる事件についても、裁判所はその実体について審判すべき義務を有し、これが公訴権を濫用したものとして公訴を棄却すべきものでないことはいうまでもない。

また被告人に対する本件逮捕手続に所論のような違法があつたとしても、これまた本件公訴提起の手続が無効となるものでないことは最高裁判所の累次の例判(昭和二三年六月九日大法廷判決、刑集二巻七号六五八頁、同年一二月一日大法廷判決、刑集二巻一三号一、六七九頁、昭和四一年七月二一日第一小法廷判決、刑集二〇巻六号六九六頁)の示すところである。そして記録を精査しても、本件公訴提起の手続がその規定に違反したため無効とせられるべき違法の廉は存しない。また本件審理の経過に徴しても、最高裁判所昭和四七年一二月二〇日大法廷判決にいう「審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判の保障条項によつて憲法がまもろうとしている被告人の諸利益が著しく害せられると認められる異常な事態が生ずるに至つた場合」に該るものとは認めがたいから、免訴を言い渡すことはできないものである。それゆえ、公訴棄却もしくは免訴の判決をしなかつた原判決に所論のような違法はなく論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとして主文のとおり判決する。

(栗田正 久安弘一 片岡聡)

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